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奪われた故郷 北方四島・元島民の65年
「NNNドキュメント’10」という番組で、北方領土問題が放送されました。

日テレ:NNNドキュメント’10
http://www.ntv.co.jp/document/back/201008.html
奪われた故郷 北方四島・元島民の65年
30分枠 放送 : 8月1日(日)24:50~
ナレーター : 柳生 博
制作 : 札幌テレビ放送
再放送 : BSおよびCSでの再放送の予定はありません

シリーズ 「戦争の記憶」(1)
1945年8月15日、日本国民は玉音放送で終戦を知る。しかし、北方四島では戦争は終わっていなかった。8月28日から9月5日にかけてソ連軍は択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島を占領、日本人を追放した。当時11歳だった得能(とくのう)宏さんは、9月1日の朝、軍艦が色丹島の湾に入って来る様子を目撃。その日のうちにソ連軍は島を占領した。家を追われ、根室への移住を余儀なくされた得能さんは今76歳。色丹島での出来事を語り継ぐ活動を続けている。終戦当時、北方四島に住んでいた日本人は約1万7千人。半数はすでに死亡、平均年齢は76歳を超えた。番組は、得能さんの証言や色丹島の最新映像を交え、北方四島をめぐる問題の背景に迫る。


概要をメモ。
(もしも記憶違いの部分があった場合は申し訳ありません・・・)

元島民のお二人を追うドキュメンタリー。
どちらも裕福なご家庭のお子様でしたが、
終戦後、ソ連軍が島を占領。
島を追われ何もかも失い、その後の大変な生活の状況。

島民は高齢者の方がほとんどであるため、風化の危機を訴えていました。

ビザなし交流(元島民が島に渡り、お墓参りやロシア人との交流など)が出来るようになりましたが、
番組に出演されていた方の墓地は、たしか軍の敷地(?)となっており入ることが出来ない。

ロシアは莫大な資金を投入し島を整備しているそうで、
返さない気まんまんのようです。
島に住んでいるロシア人も「日本人が来るのなら受け入れる」と上から目線でした・・・。


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2009年9月に地元ローカルで特集されたものをメモ。

http://www.stv.ne.jp/tv/dnews/past/index.html?idno=20090911131956&query_start=11
◆政権交代で北方領土は
9月10日(木)

【山内キャスター】
道内からはじめての総理となる鳩山総理大臣が
まもなく誕生します。その祖父・鳩山一郎さんは
総理大臣として、
当時のソ連との国交回復を果たしました。
歴史的な政権交代をきっかけに
北方領土問題に進展はあるのでしょうか。


★VTR

【中学生が船で北方四島を視察】
先月28日、根室市内の中学生が
道の実習船である場所へ向かいました。

【元島民・河田弘登志さんの話】
「手を伸ばすと届くようなところに人の住んでいた島があります」

【歯舞群島・貝殻島】
見えてきたのは北方四島の貝殻島。戦後64年、
ロシアの実効支配がつづく現実を目の当たりにしました。

【参加した中学生の話】
「すごく近いのでびっくりしました」
「(北方四島を)返してほしいと思いました」

近くにありながらも遠い島、北方四島。

【ソ連軍の日本への侵攻・1945年】
1945年8月、ソ連は、当時、有効だった
中立条約を無視して対日参戦し、8月28日に択捉島に上陸。
9月1日には色丹島などにも上陸し、四島を占領しました。

【色丹島で撮影された写真】
これは、終戦直前、色丹島の斜古丹地区で撮影された写真です。
色丹島で生まれ育った西田貞夫さんと幼なじみの得能宏さんの
小学生当時の姿がそこにありました。

【西田貞夫さん】
ソ連による占領から64年がたった今月1日、西田さんを訪ねました。
西田さんは、ある絵を大切にしています。それは、ハンカチに描かれていました。

【色丹島・斜古丹地区の絵】
昭和20年9月1日と書かれたこの絵。当時の日本軍の軍曹が
色丹島・斜古丹地区の丘の上で描きました。
桟橋の近くには2隻のソ連の軍艦が見えます。
占領前の最後の色丹島の様子です。

【西田貞夫さんの話】
「学校の土手の上からソ連の兵隊が降りてくるところを
 見ていました。(ソ連兵が)ここからどんどん上がってきた
 その時は恐かったですね、自動小銃を向けたままでね」

【西田貞夫さんの家族の写真】
料理店を営んでいた西田さんの家は、占領から2週間後、
ソ連によって強制的に明け渡しをさせられたといいます。

【西田貞夫さんの話】
「もし、アメリカが占領していたら
 日本政府もさしのべる手もあったでしょうけど
 ソ連ということで、まったく何もしてくれなかった」

【“解放の日”の式典・ユジノサハリンスク)
今月3日、ロシアのサハリン州で式典が開かれました。
ロシアでは、毎年9月3日を南樺太と北方四島を
軍国日本から解放した日と定めています。
つまり、第二次大戦の結果、南樺太と北方四島は
ロシアの領土になったと正当化するための“解放の日”なのです。

【参加者の話】
「きょうは日本の軍国主義者への勝利の日だ、
 つまり、南サハリンとクリル諸島は解放され
 いまや我が国の領土なのです」
「歴史的にみてクリル諸島はロシアの一部であるべき、
 (北方領土問題が)近い将来に解決されることはない」

【得能 宏さん】
色丹島出身の得能宏さん。
得能さんも、島が占領された9月1日の朝を特別な思いで迎えました。

【得能 宏さんの話】
「この日は私の人生で特別の日、ソ連船が午前8時半頃かな
 突如として目の前に現れた、そこから、人生が狂っていった」

得能さんと家族は土地や建物をソ連に没収され、
倉庫暮らしのさ中、終戦の翌年、祖父の源次郎さんは
亡くなりました。その後、樺太の収容所を経て
根室に引き揚げた時には、占領から3年が過ぎていました。

【得能 宏さんの話】
「ソ連は不法に入ってきたんだ、この事実は消せない
 私の祖父は汗水流してこの島を築いた。ソ連は、あっという間にとりあげた」

【羽田空港】
この日、得能さんは、ある会合へと向かっていました。
返還運動団体から、「元島民の体験を聞きたい」と
依頼されたからです。当時のことを思い起こすつらい時間…
得能さんは、島がソ連に占領された時の様子や島から樺太を経て
根室へ引き揚げた時の状況を話すことにしていました。

【得能 宏さんの話】
「樺太にいた私たちが何が恐怖だったかというと、
 いつ死ぬのかなと、引き揚げ船に間に合わないのかなと、
 来る日も来る日も、そればかり考えていた。
 きょうは船が出ていったよ、きょうはかわりの船が来たよ
 どんどん日本人が帰っていっているから
 我々はもうじき帰れると母親に言うんですね」

【墓参りをする民主党・鳩山代表】
歴史的な政権交代を果たした民主党の鳩山代表は、
先週土曜日、祖父の鳩山一郎さんの墓をお参りました。

【日ソ共同宣言の調印・1956年モスクワ】
鳩山一郎さんは1956年、総理大臣として
歯舞、色丹の引き渡しを明記した日ソ共同宣言に調印。
ソ連との国交を回復しました。
それだけに、鳩山代表は北方領土問題の解決に
並み並みならぬ意欲を示しています。

【民主党・鳩山代表の話】
「北方領土の解決などに力を入れてまいりたい。
 対話と協調の中で、問題の解決を見出していく」

“4島返還”を求める日本。“2島引き渡し”を示唆するロシア。
戦後64年、両国の溝は埋まらないままです。

【得能 宏さんの話】
「あくまでも4島なんだということで出発はあるわけだから、
 他の人はどうあれ、僕は信念は変わらないね絶対ぶれたこともないし、
 これからもぶれないまま死んでいくと思うよ」

【西田貞夫さんの話】
「もしも2島で終わってしまうのであればそれでもいいんじゃないですか。
 4島は返ってこないんではないですか、くるんですか、
 あと50年後、100年後に返ってくるという
 何かがあるんですか、我々が死に絶えてしまったら
 “返せ返せ”という人がいなくなったらみんな忘れてしまいますよ」

64年もの間、解決をみない北方領土問題。
幼なじみの仲をも分かちつづけています。
政権交代によって領土問題は動きだすのか?
返還運動の原点・根室は見守っています。

END



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■関連リンク

北方領土問題対策協会:元島民が語る「北方領土」
http://www.hoppou.go.jp/gakusyu/voice/index.html
 この証言集は、元島民が北方領土に居住していた当時の生活や引揚げ時の様子、その後の生活など貴重な体験談を記録として残すことによって、多くの方々に北方領土問題を正しく理解していただくことを目的として、北方領土が不法占拠されてから半世紀が経過した1995年(平成7年)に記録されたものをまとめたものです。



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■当ブログ内関連記事

■カテゴリ:北方領土、樺太

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by doumin | 2010-08-05 16:40 | 北方領土、樺太 | Comments(2)
Commented by さむさら at 2010-08-08 12:04 x
”解放の日”とは、、、。
悔しくて叫びたくなる気持ちです。
どうみんさんのお陰で9月1日も私達日本人が忘れてはならないれ日だという事を知りました。
本州に生まれた日本人は特にこの北方領土や沖縄の事に
無関心になりがちです。
マスコミの報道がその地域によって大きく異なるのも
温度差が違うのもその理由のひとつだとは思いますが
(言い訳にしかすぎませんねm(_ _)m)
これは、日本の問題であり私達の問題であるという
意識を強く持たねばならないと反省しています。
Commented by doumin at 2010-08-09 14:30
さむさらさま、有難うございます<(_ _)>

実は・・・本州だけではなく、
北海道内でもこの問題は徐々に薄れていってる?と感じます・・・。

先日のテレビでは、アメリカがロシアに恩を売るため(?)に占領を認めた、
北方領土は道具に使われたのだ、と言っていました。
酷い話です。
戦後65年。
敗戦の爪痕はまだまだ色々なところに根深く残っているのだなと思います。
皆さんはご高齢で、このままでは風化してしまう。
語り継ぎ、訴え続けることが大切なのだと思いました。

※南樺太に住んでいた知り合いがいます。
何故、故郷を追われなければならなかったのかと今も思っているそうです。
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