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先見の明 退職金をつぎ込み避難所を造った男性、非常通路に尽力した市議、飼い主を救ったシーズー犬
先見の明があった3人(正確には、2人と1匹)のおはなしです。


「こんなところまで津波が来るわけがない」と言われながらも、
退職金を注ぎ込んでまで造った避難所が、約70名の命を救いました。

朝日:手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島 2011年3月31日3時0分
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103290226.html
http://www.asahi.com/national/update/0329/TKY201103290226.html
 「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。

 東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。

 近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造った。「避難場所は家からすぐの場所になくちゃってね」。住民には「佐藤山」と呼ばれていた。

 地震があった11日、佐藤さんが4人の家族と犬を連れて登ると、すでに40人ほどがここに避難していた。津波は「ブォー」と膨れ上がって押し寄せ、立ち木や家屋がなぎ倒される音がバリバリと響いた。

 いったん波が引いたあと、「第2波には耐えられない」とさらに人がやってきた。「線路の辺りで波に巻き込まれた」という傷だらけの男性など4人も流れ着き、避難した「佐藤山」の人々が棒を差し出して引っ張り上げた。避難者は70人ほどになり、お年寄りやけが人は小屋でストーブをたき、男性陣はあずま屋でたき火をして夜を明かした。

 夜が明けると、1960年のチリ地震による津波でも床上浸水だった周辺は、流失した家屋やがれきで埋め尽くされていた。避難した遠山秀一さん(59)は「『ここには大きな津波は来ないよ』と佐藤さんの作業を半ば笑って見ていたけど、先見の明があった」と感謝する。

 一方、周辺では指定避難場所も津波に襲われ、多くの人が犠牲になった。佐藤さんはこれまで「大きな津波は、建物ではダメ。高台に逃げるのが鉄則」と市に訴えたこともあったが、「佐藤山」は指定されなかった。

 佐藤さんは「老後の道楽も兼ねて造った避難所で一人でも多く助かってよかった」と喜ぶ一方、「もっと多くの人に『ここに逃げて』と伝えられていれば」と悔しさもにじませる。

 「佐藤山」には、もともとあった山桜のほか、しだれ桜や数々の山野草が植えられている。津波に襲われた登り口付近の梅の木は、地震後に白い花を満開にさせた。「早く平和な日常が戻るように」。佐藤さんは、様変わりした野蒜地区を見てそう祈っている。(木下こゆる)




「子どもの足では間に合わない」と、
校舎2階とがけの上の道路が直接繋る通路を造ることに尽力した大船渡の平田武市議。
平田武市議は、この大震災の9日前に病死されているそうです。

朝日:市議の「遺言」、非常通路が児童救う 津波被害の小学校 2011年3月29日17時6分
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103290249.html
http://www.asahi.com/national/update/0329/TKY201103290249.html
 岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日本大震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。

 海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、いったん1階から校舎外に出て、約70メートルの坂を駆け上がってがけの上に行き、さらに高台の三陸鉄道南リアス線三陸駅に向かうことになっていた。

 「津波が来たとき一番危ないのは越喜来小学校ではないかと思うの。残った人に遺言みたいに頼んでいきたい。通路を一つ、橋かけてもらえばいい」。2008年3月の市議会の議事録に、地元の平田武市議(当時65)が非常通路の設置を求める発言が記録されている。

 親族によると、平田さんは数年前から「津波が来た時に子供が1階に下りていたら間に合わない。2階から直接道に出た方が早い」と話すようになったという。

 平田さんの強い要望をうけたかたちで、昨年12月、約400万円の予算で校舎2階とがけの上の道路をつなぐ津波避難用の非常通路が設置された。予算がついた時、平田さんは「やっとできるようになった」と喜び、工事を急ぐよう市に働きかけていた。

 11日の地震直後、計71人の児童は非常通路からがけの上に出て、ただちに高台に向かうことができた。その後に押し寄せた津波で、長さ約10メートル、幅約1.5メートルの非常通路は壊され、がれきに覆いつくされた。遠藤耕生副校長(49)は「地震発生から津波が来るまではあっという間だった。非常通路のおかげで児童たちの避難時間が大幅に短縮された」と話す。

 市教育委員会の山口清人次長は「こんな規模の津波が来ることは想定しておらず、本当に造っておいてよかった。平田さんは子供のことを大事に考える人でした」と話した。

 非常通路から避難した児童の中には、平田さんの3人の孫もいた。平田さんの長男、大輔さん(38)は「人の役に立った最後の仕事に父も満足していると思う。小学3年の息子にも、大きくなったら話してやりたい」と語った。(其山史晃)




先見の明になるのかは分かりませんが、
飼い主を救ったシー・ズーの話をご紹介します。

読売:愛犬、83歳女性救う…散歩コースと逆の高台へ(2011年3月26日)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110326-OYT1T00434.htm
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38657

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命を救ってくれた愛犬と避難所で過ごす赤沼タミさん=菊政哲也撮影

 東日本巨大地震による大津波で壊滅的な被害を受けた岩手県宮古市で、愛犬に命を助けられた女性がいる。

 津波襲来までの30分間、愛犬は興奮した様子で女性を高台にぐんぐん引っ張り、安全な避難所に導いた。

 女性は、海岸から約200メートルの同市田老川向(たろうかわむかい)に住んでいた赤沼タミさん(83)。メスのシーズー犬「バブ」と自宅の居間でくつろいでいるときに地震に襲われた。蛍光灯が消えると、バブはせわしなく走り回り、尾を強く振って鼻をクンクン鳴らしたという。

 赤沼さんが「散歩の時間にはまだ早いのに」と思いながら、玄関先で首にリードをつけていると、防災無線が大津波警報の発令を知らせていた。

 田老地区で900人以上の死者・行方不明者が出た1933年の昭和三陸地震を体験した赤沼さんが「避難しなきゃ」と玄関を開けると、バブも勢いよく飛び出し、いつもの散歩コースと逆の高台へ向かった。

 赤沼さんの歩みが緩むと、バブは振り返って歩みを促すようなしぐさを見せ、追いつくと勢いよく前へ出た。それを繰り返すうちに、自宅から約1キロ離れた避難所への急坂を一気に上りきっていた。

 振り返ると、歩いてきた道は津波にのみこまれ、自宅も濁流の中に。普段は散歩も嫌がるバブの行動に、赤沼さんは「津波を予知してたのかも」と不思議がる。

 バブは今、近隣地区の集会場で赤沼さんら住民約60人と避難生活を送る。12歳の誕生日にあたる23日には、お気に入りのピンクの服を洗ってもらい、うれしそうなしぐさを見せたという。(浅見徹)


これは30日のテレビで見たのですが、元ソースは読売新聞だったのですね。
内容はどちらもほぼ同じですが、上記記事には書かれていない部分を。

津波がせまっていることを知り、飼い主のタミさん(83歳)は足がすくんでしまったそうです。
飼い犬のバブはかなりの老犬に見受けられましたが、
タミさんをグイグイと引っ張り、離れると立ち止まり、振り返って顔を見上げ、
またグイグイと引っ張って顔を見上げて、の繰り返しで難を逃れたそうです。

避難所におけるペットの問題が出てきているようですが、
「この避難所ではありがたく受け入れてもらっている」
とタミさんは仰っていました。

「この子は(私の)子どもみたい。私が寝ればバブも寝て、私が起きればバブも起きる」



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■関連記事追記

猫の島(人口より猫の方が多い)として有名な田代島は大丈夫だったのかと心配していたら、
こんな記事が。
嬉しさと悲しさが半々ですね・・・。

AFPBB:急げ、被災ペットと飼い主の救援 「ぼくたちも懸命に生きてます」
2011年03月28日 18:08 発信地:仙台/宮城
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2793011/7017322?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=photo_topics
【3月28日 AFP】東北地方太平洋沖地震・津波では、多数のペットたちも被災した。飼い主とはぐれたり死別したペットたちは、今も被災地に取り残され、けがやエサ不足のなか必死に生き抜こうとしている。

 被災地では数は少ないながら動物専門の救助隊も活動している。震災直後の数日は「被災地で動物の姿を見つけることはできなかった」と、動物愛護団体PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)のアシュリー・フルーノ(Ashley Fruno)氏はAFPに語った。「泥の上に足跡をいくつか見つけたけれど、途中で途切れてしまっていた」

 しかしその後、ゆっくりではあるが着実に、飼い主たちとはぐれたペットたちが姿を見せはじめた。倒壊家屋の中から、自力で外に出てきた動物たちも多い。

 震災後まもなく複数の動物愛護団体が結成した「JEARS(Japan Earthquake Animal Rescue and Support)」は、被災地でペットの保護活動を行っている。ボランティアの獣医師らがけがをしたペットを治療しているほか、飼い主を失ったペットの一時避難先探しも引き受けている。

■避難所でトラブルも、飼い主には心の支えに

 JEARSは、避難所でのペットをめぐるトラブルにも対応している。獣医師の佐々木一益(Kazumasu Sasaki)さんによると、避難所ではペット連れの被災者とそれ以外の被災者との間で摩擦が起きている。動物アレルギーがある人もいれば、鳴き声や犬同士のケンカに苦情を言う人もいる。

 ペット連れでの避難所入りが拒否され、損壊した自宅にとどまることを選ぶ被災者も出ている。

 JEARSコーディネーターのイザベラ・ガラオン青木(Isabella Gallaon-Aoki)さんは、ペット連れで避難した被災者に対し、一時的にペットを施設に預けるほうが良いと説得しているが、なかなか難しいと語る。「ペットを家族の一員と考える人が多い。震災の後で、ペットだけが心のよりどころという人もいる」

 夫と飼い犬モモとともに仙台市内の避難所に暮らすタカザワ・トミさん(65)は、苦情を受けながらも、モモを手放す気はないと断言した。「モモだけを連れて、他には何も持たずに逃げてきたんです。一緒にいないのは想像できません。ここで飼ってはいけないと言われたら、出て行くつもり」

■ネコの島の奇跡、飼い主探して泳ぎ続けた秋田犬

 震災では、津波で2キロも内陸まで流されて水田から救助されたイルカなど、奇跡的に助かった動物たちの話も少なくない。

 人口より猫の数が多く「猫島」として有名な宮城県田代島(Tashirojima)も津波に襲われたが、ほとんどの猫たちは奇跡的に無事だった。

 仙台市在住のカマタさんは、大津波が来ると近隣住民に知らせて回った後で、飼っていた秋田犬を助けに自宅に戻ろうとしたが、押し寄せる波に阻まれてしまった。「もうだめだと思いました。すごく悲しかった」

 だがその夜、身を寄せた避難所でカマタさんは、外で犬のほえる声を聞いた。「あいつでした。きっと泳いでわたしを探し出したんでしょう。海水をたくさん飲んでいて、吐いてばかりで、どのみちもう助からないと思いました。でも、持ちこたえてくれました」と、カマタさんは語った。(c)AFP/Giles Hewitt




海を漂流しているがれきの上で、何と犬を発見!
中型犬、体色は茶で部分的に白、耳はこげ茶で垂れ耳で、黒っぽい首輪をしているそうです。
飼い主さんと再会できることを祈っています。

(動画あり)日テレNEWS24:海上のガレキの上に犬が…海上保安庁が救出
< 2011年4月1日 23:06 >
http://news24.jp/articles/2011/04/01/07179952.html
 東日本大震災の発生から3週間がたった1日、宮城県で行われた行方不明者の集中捜索中に、海上のガレキの上で犬が発見され、救助された。

 1日午後2時過ぎ、宮城・気仙沼市の沖合で、津波に流された民家の屋根の上に中型犬1匹がいるのが発見された。人もいる可能性があるということで、海上保安庁の特殊救難隊員が民家を捜索したが、海に沈んだ家の中での捜索は難航。海上保安庁によると、1日午後5時過ぎ、巡視船で犬を保護したという。

 安否不明者の集中捜索はあと2日、続けられる。


共同:気仙沼沖漂う屋根に犬 海保、1時間後に救出 2011/04/01 23:43
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011040101001203.html

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第3管区海上保安本部の特殊救難隊に救出された犬=1日午後5時ごろ、宮城県気仙沼市本吉町の沖合約1・8キロの海上(海上保安庁提供)
 1日午後4時ごろ、宮城県気仙沼市本吉町の沖合約1・8キロの海上で、漂流していた屋根の上に犬がいるのを、第3管区海上保安本部(横浜)所属の特殊救難隊が見つけ、約1時間後に救出した。

 地元の第2管区海上保安本部(宮城県塩釜市)によると、同救難隊は東日本大震災の行方不明者を捜索するため海上をヘリコプターで飛行中に犬を発見。ヘリコプターから助けようとしたが、犬は海上にあった木材などに飛び移って逃げた。

 隊員3人が救助艇で再度近寄り、最後は救助用の担架に乗ったところを助け出した。

 犬は黒っぽい首輪をつけていたが、飼い主の住所などは書かれていない。海保の巡視船の中でビスケットやソーセージを食べ、おとなしくしているという。


(動画)TBS News-i:海上を漂流する犬救出、気仙沼沖合 2011/04/01
http://www.youtube.com/watch?v=yZRqy7CE-o4


(動画あり)NHK:漂流する住宅屋根から犬救出 4月2日 4時43分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110402/t10015058911000.html


時事:漂流の屋根から犬を救助=一斉捜索で発見-海保(2011/04/02-12:15)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011040200187
 1日午後4時ごろ、宮城県気仙沼市本吉町の沖約1.8キロの海上で、行方不明者の一斉捜索に当たっていた海上保安庁のヘリコプターが漂流する屋根の上にいる犬を見つけた。犬はヘリの音を怖がって逃げ回ったが、午後5時ごろ、特殊救難隊員が函館海上保安部の巡視船「つがる」搭載の小型ボートで近づき、救助した。
 同庁によると、犬は首輪をしており、飼い犬とみられる。人懐こく元気で、与えたビスケットを食べた。海保関係者は「衰弱していないので、最近流されたのではないか」としている。犬は現在も巡視船にいるという。



漂流犬は、飼い主さんと無事再会できました!!!

ロイター:気仙沼沖で漂流中に救助された犬、飼い主と再会果たす
2011年 04月 5日 08:44 JST
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-20427320110404
 [東京 5日 ロイター] 東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の沖合で、漂流していた家屋の屋根の上に乗っていたところを、第3管区海上保安部(横浜)の救助隊に救出された犬が4日、名乗り出た飼い主の元に戻った。
 この犬は震災発生から3週間後の1日、同市の沖合約2キロの海上で、捜索活動を行っていた同保安部のヘリコプターに発見され救助艇で救助された。

 国内メディアによると、犬は雌の2歳。体長約70センチで、名前は「バン」。飼い主は自宅でニュース番組を見て、自分の犬だと分かったという。

 保護先の動物愛護センターで愛犬と再会を果たした女性は、「助かって本当にうれしい」と話し、バンも再会を喜んでいる様子だった。




田代島のねこ記事を追記。

毎日:東日本大震災:猫80匹たくましく 宮城・石巻の田代島
2011年5月27日 11時59分(最終更新 5月27日 13時42分)
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110527k0000e040065000c.html
猫たちの様子を見る畠山さん=宮城県石巻市の田代島で、塚本恒撮影

 人口より猫が多い「猫の島」として知られる宮城県石巻市の田代島。東日本大震災の津波で甚大な被害を受けたが、島民に大事にされてきた野良猫たちは地震や津波に負けず、たくましく生き延びていた。

 田代島は、作家・井上ひさしさんが「ひょっこりひょうたん島」のモデルにしたともされる島の一つ。かつては養蚕が盛んで、猫はネズミよけとして飼われていた。やがて猫が自然繁殖を始めた後も「大漁を招く」として島民に大事にされ続け、島の中心部には「猫神社」も建つ。島民によると、震災前と変わらず約80匹の猫が生き延びたとみられる。

 海岸近くの自宅で野良猫に餌やりをしている畠山和子さん(72)は「地震の時は、私たちよりも逃げるのが早かったくらい」と当時を振り返る。津波が引いてしばらくすると、山の方から猫が下りてくるのが見えた。「きっと猫神社の方へ逃げていたんでしょう」

 心配なのは餌不足。島の仁斗田漁港で漁師の「おこぼれ」にあずかる猫が多かったが、漁港は津波で壊滅的被害を受け、漁業再開のめどは立っていない。猫たちは今は各地から送られたキャットフードを食べているという。

 船や車、カキの養殖設備などを津波で失った阿部頼男さん(73)は「猫に魚を食わせてやりたいが、自分の生活で精いっぱい」。電気や水道も完全には回復しておらず、島に7軒ある民宿は休業中で、観光客受け入れも厳しい。島の復興は猫たちの運命も左右しそうだ。【塚本恒】


被災地“猫島” にゃんこ・ザ・プロジェクトで猫の手借りる 2011年7月2日 07時00分
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20110702/Postseven_24318.html



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■カテゴリ:東日本大震災(東北太平洋沖地震)

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by doumin | 2011-03-31 22:26 | 東日本大震災(東北太平洋沖地震)