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市民団体らが美瑛で朝鮮人遺骨調査 8月に共同発掘調査を計画/台湾と韓国の違い
東アジアの各国でナショナリズムが必要以上に強調されていることを憂うのなら、
まず最初に団体名を変えるべきだと思いますけどねぇ。

道新:朝鮮人遺骨 美瑛で調査 旧江卸発電所建設に強制動員 市民団体など 8月に発掘計画(06/05 16:00)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki4/471603.html ※魚拓
証言者(手前)の説明を受けながら、現地の様子を確認する殿平善彦共同代表 証言者(手前)の説明を受けながら、現地の様子を確認する殿平善彦共同代表

 【美瑛、東川】戦争中に東川町の旧江卸(えおろし)発電所建設現場で働かされていた朝鮮人労働者の遺骨が、美瑛町忠別の旧共同墓地周辺に埋まっている可能性があることから、市民団体などが4日、現地を調査した。8月には遺骨発掘調査を計画している。

 この日は「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」の殿平善彦共同代表ら3人が、かつて忠別地区に住んでいた美瑛町内の70代男性と現地入り。この男性によると、共同墓地の外れに朝鮮人の遺体が埋められたものの、埋めるための穴が浅かったため、その後も棺おけの一部が見える状態で放置されていたという。

 現地は墓の移転に伴い、樹木や雑草で覆われていたが、男性の証言に基づき、遺体が埋められたとみられる地点を絞った。今後は土地の所有者を特定した上で許可をとり、8月の発掘にこぎ着けたい考えだ。

 同フォーラムや東川町民でつくる「江卸発電所・忠別川遊水池 朝鮮人強制連行・動員の歴史を掘る会」、旭川大・斎藤真宏准教授(異文化間教育)のゼミなどは8月、現地で東アジアの若者たちによる共同発掘調査を計画している。掘る会によると、旧江卸発電所建設には千人規模の朝鮮人が強制動員されたとされる。

 殿平共同代表は「東アジアの各国ではナショナリズムが必要以上に強調されている現状があるが、自分たちの手で冷静に歴史の事実を確かめることに意義がある」と話している。(立野理彦)






■黄文雄氏の著書

■『 韓国人の「反日」台湾人の「親日」 』(黄 文雄 著) 光文社 1999年
http://dengon.holy.jp/ksr01.html
「朝鮮人の強制連行」問題の著作物は、地方の公立図書館へ行くと意外なほど多い。戦前の日本国内では、朝鮮人の犯罪者が多かったので、いかにして朝鮮半島からの人の流入を釜山港で阻止するかに悩み、たびたび朝鮮総督府に有効な対策を求めていた。だが「朝鮮人の強制連行」問題の著作があれほど多くても、「犯罪」「入国阻止」関連研究書は、大学図書館でさえほとんど見いだすことが困難だ。
では、いったいどれくらいの朝鮮人が強制連行されたのか。ある著名な朝鮮史学者は120万人と書いている。その数字の根拠は、戦後、在日韓国・朝鮮人が120万人であったからだという。現在、在日韓国・朝鮮人一世や二世、三世も強制連行されたという主張があり、ゆえに外国人でありながらも、別格として国家公務員資格や選挙権を要求する運動もある。
韓国人の著述には「日帝36年」について「強制連行」「強制労働」「強制徴集・徴用」と表現することが多いが、その「強制連行」とは実は大陸文化そのもので、戦争や動乱があるたびに住民が「強制連行」されたことは、中国史にも朝鮮史にも繰り返し書かれている。
しかし、日本文化は中国社会や朝鮮社会とはかなり異なる。近代になって台湾に対しても朝鮮半島に対しても、いかなる公的な義務労働であろうとも、多かれ少なかれ工賃を払うのが日本的なやり方であった。このことからも、日本文化は中国や韓国の社会文化とはまったく違うことが判明する。
台湾領有初期の日本軍の征伐戦争・戦記・日記を見ると、住民を略奪しながら敗退、逃亡した清国兵士に対してさえも、米と銭を与え、船で港から大陸へ送還した。地方の村長・長老を集めて訓示した後でも銭を与え、細かい気配りをしていた。
そのような日本的気配りは、中国や朝鮮半島では絶対に見られないことだ。
韓国人の「日帝」糾弾のパターンは、たいてい決まっている。それはあたかも日帝のすべての悪事悪行が隠蔽されてきたが、それが次から次へと考古学や犯罪事件摘発のように、発掘されていくという図式である。
第二次大戦末期に、台湾からも多くの少年工が来日している。しかし、彼らは「強制連行」ではなく、厳しい試験で合格した者だけが来日を許され、朝鮮半島からは「強制連行」されなければならなかったのか。朝鮮人はそれほど立派なのか。偉大なのか。
また「創氏改名」運動のように、なぜ朝鮮半島では任意申告制で、台湾人だけが許可制なのか。私には疑問がずっと残っている。

「強制連行」については、台湾人の子供まで連行され、海軍飛行場の建設工場で酷使され息を引き取ったと、韓国有力紙に報道されたこともある。
この「子供強制徴用の実態」に関して、あたかも「歴史発掘」のように韓国では一時、歴史捏造に狂奔した。
「東亜日報」(91年10月23日付)は、「神奈川県で12から18歳の台湾少年工8千名が、軍需工場で強制労働させられていたことが明らかになった。しかし、8歳の少年強制労働と火葬というのは、ひょっとすると日本全国で初めて確認されたことではないだろうか。」と日本の大学教授の発言を引用して報道している。
日本の反日大学教授も不勉強であるが、韓国のマスコミも「反日」の話題でさえあれば、何でもかんでも派手に報道するという姿勢は問題であろう。
実は、台湾少年工についての歴史捏造と歪曲ほどひどいものはない。

戦争末期、台湾から日本に来た8千名の台湾少年工は、主に名古屋、大和市、群馬県の戦闘機工場で働いた。彼らは「強制連行」ではなく、厳しい筆記試験に合格、さらに身体検査にも合格、校長と両親の許可を得て来日したものであった。「強制連行」どころか、現在でいえば「東大入試」の狭き門をパスした誇りある少年たちである。わたしが直接彼らから聞いたところでは、「隼」以外に「ゼロ戦」を作ったという人もいた。
彼らは現在「高座会」をつくり、生存者は70歳前後になっているものの、なおも5千人以上の会員を有している。会誌も発行されている。十数歳の台湾少年工の作詞・作曲した会歌は日本の寮歌に似ていて、合唱すると実に感動的である。
彼らは日本人の友人との絆が強く、94年の大和市の大会では2千人以上の会員が台湾から来日し、大和市は交通大渋滞となるほどであった。
当時、日本のマスコミは彼らを「強制連行」と報道したため、自尊心を傷付けられ、会長が会員全員を引き連れ、抗議に行くという話もあったほどだ。
戦争末期の米軍空襲下で共に働いてきた台湾人と日本人は、上官と部下の関係のみでなく、その絆もなかなかに深い。私は台湾から来た昔の少年兵を連れ、かつての日本人仲間の病気見舞いや、老後の不遇者の生活の面倒に奔走する戦友を案内したこともあった。
日帝の「暴挙」ばかりを追求してきた韓国人には、日本国民として育てられ、共に国家の存亡をかけた情熱と戦友としての絆は理解できないだろう。この5千人以上の証人について、日本人ももっと「歴史」を勉強する必要があるのではないだろうか。
台湾少年工は戦後、彼らなりに国民党政府支配下で多くの荒波を乗り越え、現在の事業成功者としての地位をつかんだ者が多いのだ。
台湾の新聞記事や評論で、彼らの記事をときどき読むことがある。
彼らに言わせれば、彼らは「ゼロ戦」「隼」のエンジンまでを作ったエンジニアである。今日的にいえば、最先端のハイテク技術者である。しかし戦後、台湾の権益はすべて大陸からやって来た中国人によって独占され、彼らが身に付けた技術をほとんど生かすことができなかったのだ。もし彼らがもっと重用され、その技術を利用できたならば、台湾の産業発展は今日よりももっと進んでいたはずであったという自負を持ち、日本での過去を誇りとしている。
韓国人がいかに「強制連行」「虐殺」「迫害」だけを喚いているかを示唆する話ではないだろうか。






■追記

朝鮮新報:朝鮮人強制連行の跡地をたどる 朝大「朝鮮人強制連行真相糾明サークル」
2013.07.22 (14:16)
http://chosonsinbo.com/jp/2013/07/0722ys-2/
朝鮮大学校(東京都小平市)の学生たちでつくる「朝鮮人強制連行真相糾明サークル」が5月26日、神奈川県横須賀市で「朝鮮人強制連行の跡地を訪ねる」と題したフィールドワークを行った。同サークルはこれまで筑豊、長崎、埼玉、群馬、東京など、強制連行、関東大震災朝鮮人虐殺、東京大空襲犠牲者に関するフィールドワークを行ってきた。横須賀でのフィールドワークは今回で2回目である。


強制労働の傷跡

サークルではこれに先立ち約1ヵ月間、「強制連行の傷跡」(神奈川・朝鮮人強制連行真相調査団が発行)をはじめ軍都・横須賀における朝鮮人強制連行関連図書や資料の学習を行ってきた。

目的地の貝山地下壕に到着した一行は、発足当初(1991年)から神奈川朝鮮人強制連行真相調査団の活動に取り組んできた原田章弘さんの解説をうけながら現地を見て回った。かつて横須賀市北部の追浜は、海軍航空隊や飛行場、そして海軍航空技術廠が存在した重要な軍事拠点だった。航空隊や技術廠を囲むように、浦郷地下壕、夏島地下格納庫、野島地下格納庫が点在し、松代(長野)を上回る日本最大13㌔の地下壕もここにある。そのもっとも内側に存在するのが貝山地下壕である。この壕は、幅2~6㍍、高さ2~10㍍、全長約2000㍍で、「地下司令部があったところ」である。

地下壕内に入った参加者たちは、トンネルの壁に残るつるはしの削り跡や、ずりを外へ運び出すために敷いたトロッコのレールの枕木跡、旧日本海軍の錨マークが描かれた食器類、竈やその煙を外に出すための煙突、コンクリートの張られた階段や部屋を案内された。中には約10㍍四方の立派な会議室のような部屋もあり、その壁には天皇の写真を飾る窪んだ場所や神棚を設置したと思われる場所もあった。この巨大な地下壕建設には朝鮮半島はもとより日本国内に在住していた朝鮮人が数多く強制連行され辛い労働に従事させられていた。

参加者の金志潤さん(政治経済学部2年)は「この地を訪れて、強制連行されてきた朝鮮人労働者たちがどれほど悲惨な現場で奴隷労働を強いられていたのかを身を持って痛感した。また、あれから70年も経とうとするのに強制連行されてきた総数すら分からないと聞いたが、真相究明が急務だと思った」と話した。


風化させないために

次に一行は、京急横須賀駅からほど近い良長院(横須賀市緑が丘)を訪ねた。

お寺の山門をくぐるとすぐ左手に「横須賀海軍建築部請負工事殉職者弔魂碑」が建っている。碑には日本人犠牲者とともに、1942年から海軍関係の工事で亡くなった34人の朝鮮人犠牲者の名前も刻まれている。そのうち遺族が確認できたのは、朴福伊さん1人のみ。朴さんの妻は、「夫がどこの組に属していたかも、どんな所で働いていたのかも知らされず、何の仕事をしていたのかも知らなかった。現場が崩れて怪我をしたと聞き、病院に駆けつけたところ、『仲間を救おうと中に戻り、犠牲になった』と聞いた」と話しているという。

解説を聞いていた金玟和さん(教育学部3年)は「このような過去を決して風化させず、このサークルで学んだことを今後、教育現場で後世に伝えていきたい」と話した。

見学後、総聯横須賀支部の講堂で懇談会を開いた。


歴史の掘り起こしの大切さについて考える

原田さんは「この地域では、朝鮮人を働かせたという歴史は、隠したい歴史になっている」など、歴史の掘り起こしの難しさ、大切さを語った。

サークルの責任者である金宗弘さん(文学歴史学部3年)は「高校無償化適用から朝鮮学校を排除するなど在日朝鮮人に対する日本政府の差別の根源は、過去を隠ぺいし、過ちから学ばないところにある。サークルでは、今後も強制連行の実態を解明するための研究を深め、過去を記録し、記憶するための活動を積極的に行っていきたい」と抱負を語った。

同サークルでは6月27日、関東大震災朝鮮人虐殺事件90周年の取り組みとして、学内で映画「払い下げられた朝鮮人」上映会&パネル展示会を開いたほか、夏休みに北海道で行われる朝鮮人強制連行犠牲者の遺骨発掘調査にも参加する予定である。

(金哲秀、在日朝鮮人関係資料室長)


あさひかわ新聞:東川町で共同ワークショップ 強制連行犠牲者の遺骨発掘・追悼会
2013/08/07
http://www.asahikawa-np.com/digest/2013/08/00707715/
 太平洋戦争の戦時下、東川町では中国や朝鮮から強制連行された人たちが大規模な工事に従事させられました。江卸(えおろし)発電所の建設に約八百人、東川遊水池工事には千百七十人余りが動員されたことが分かっています。

 過酷な労働と劣悪な環境の中で少なくない人たちが命を落としましたが、その数は未だに明確ではありません。しかし、これまでの調査で、現在の忠別ダム付近に数体の亡骸が埋められたとの証言があります。また、東神楽町の聞名寺には二体の遺骨が安置されています。

 「遺骨発掘ワークショップ」が今月十八日から二十一日まで、東川町を中心に開催されます。

 一九九七年に朱鞠内湖のダム・鉄道建設で犠牲になった日本人・朝鮮人の遺骨発掘に始まったワークショップは、その後、猿払村・飛行場建設、芦別市の旧三井炭鉱でもおこなわれ、日本、韓国、中国などから三千人以上が参加しています。

 十八日午後二時から、東川公民館で開会式。十九日と二十日に発掘作業をおこないます。四日間のワークショップには、韓国の僧侶や歌手、沖縄戦犠牲者遺骨発掘のメンバーらも集い、国際シンポジウムや犠牲者追悼会、追悼コンサートなども開かれます。

 参加費は、一般一万五千円、大学生以下は五千円です。詳しい問い合わせは、事務局の塚田さん(090―7519―9354)まで。


シネマトゥデイ:朝鮮人強制労働者の遺骨収集に迫る…9時間超えのドキュメンタリーが公開 2013年8月12日 19時35分
http://www.cinematoday.jp/page/N0055519
 [シネマトゥデイ映画ニュース] 日本人、韓国人、在日コリアンの若者たちが、戦時中の北海道で行われたダム工事や鉄道工事で命を落とした朝鮮人労働者らの遺骨を発掘し、遺族に届ける15年間の活動を収めた約9時間の長編ドキュメンタリー映画『笹の墓標』が、17日の沖縄を皮切りに順次劇場公開されることがわかった。メガホンを取るのは、これまで沖縄の米軍基地問題などに切り込んできた影山あさ子と藤本幸久だ。

 本作が追うのは、1930年代後半から1940年前半にかけて200人以上の労働者が犠牲になったという北海道幌加内町朱鞠内で、1997年に強制労働犠牲者の遺骨を発掘するためにスタートした「東アジア共同ワークショップ」。日本人、韓国人、在日コリアンの若者たちが国境を越えて集まり作業を共にする中で、時に歴史的立場の違いや先入観からぶつかり合いながらも交流を深めてきた。

 当初からスタッフとして活動に参加してきた影山監督は、「遺骨に出会うということは、厳粛な歴史の現場に立ち会うということ。その人は、なぜここに埋められたのか。どのように亡くなったのか。どのように埋葬されたのか。遺骨が教えてくれるのは、本当にあったこと。言い逃れのできない歴史の事実」だと語る。そして、「記録されなければ、埋もれてしまう事実がある」と本作を撮り始めた理由を明かす。

 15年間で撮影されたフィルムは約700時間。全5部構成の9時間9分という超大作に仕上がったが、影山監督は「出会った人々や物事を通じて、そこに参加した若者たちも変わっていくが、その後、どうやって生きていけばよいのか、すぐに答えは見つからない。若者たちが選ぼうとした未来がどのようなものだったのか。それを記録するにも、やはり15年という撮影期間と9時間という時間が必要だった」と振り返った。

 影山監督が本作を通じて伝えたいのは、「日本人、韓国人、朝鮮人、国籍や地域、民族の違いはあっても、向き合わなければならない歴史の事実がある」ということ。「平和な未来をつくる鍵は、共に生きていきたいという強い願いを持つことにある」と語る監督は、「若者たちの15年の試みを通して、わたしたちの未来はどこにあるのか、観る人にも一緒に考えてほしい」と強く呼び掛けている。(編集部・中山雄一朗)

映画『笹の墓標』は8月17日より桜坂劇場(沖縄)、11月よりシネ・ヌーヴォX(大阪)、名古屋シネマテーク(名古屋)、12月14日より光塾(東京)にて公開予定



シネマトゥデイ:笹の墓標
http://www.cinematoday.jp/movie/T0018170

公式サイト:http://sasanobohyo.blogspot.jp

製作年:2013年

製作国:日本

日本公開:2013年12月14日

上映時間:9時間9分

企画・制作・著作:森の映画社
カラー/DV

チェック:第2次世界大戦下に雨竜ダムの建設や名雨線鉄道工事のために強制連行され、その地で亡くなった労働者の遺骨発掘を取材したドキュメンタリー。1997年から2012年の間に日本人、韓国人、在日韓国人の若者たちがダムのある北海道幌加内町に集まり、強制労働の犠牲となった人たちの遺骨の収集、さらには韓国の遺族へ遺骨を返還する様子を、全5章、9時間超に及ぶ記録として映し出す。若者たちの純粋で真摯(しんし)な姿から、過去に向き合うことの大切さを思い知らされる。

ストーリー:1997年、北海道幌加内町朱鞠内。日本人、韓国人、在日韓国人の若者たちによって、戦時中に行われた雨竜ダムと名雨線の工事に従事した強制労働者の遺骨が発掘された。発掘は数年間続き、4体の遺骨が遺族に返された。60年以上が過ぎても遺族の癒えない悲しみに彼らは何を思い、また両国の和解は可能なのか。カメラは2012年までの活動を追う。


動画
映画『笹の墓標』予告編


スタッフ

監督・撮影: 影山あさ子

監督・プロデューサー・撮影: 藤本幸久

撮影: 小寺卓矢

撮影・編集: 栗原良介

撮影協力: 宮崎利春 / 山崎耕太

音楽: 川端潤

歌: 趙博

題字: 殿平善彦



強制連行の犠牲者、北海道の遺骨発掘を追う「笹の墓標」 国超え心合わせた15年
毎日新聞 2013年10月25日 大阪夕刊
http://mainichi.jp/area/news/20131025ddf012200018000c.html
 戦時中の北海道での過酷な工事で命を落とし付近の野山に埋められた強制連行・強制労働の犠牲者。日本人、韓国人、在日コリアンの多数の若者が、遺骨発掘に1997年から取り組んできた。ドキュメンタリー映画「笹(ささ)の墓標」は、彼らが共同作業を通じ、ともに平和な未来を築こうと心を合わせていく様子を描く。5章構成で計9時間9分の大作だが、11月2〜22日、大阪市西区のシネ・ヌーヴォで連日、全章が上映される。【戸田栄】

 北海道幌加内町朱鞠内(ほろかないちょうしゅまりない)で、地元の住職を中心に80年代に始まった強制連行・強制労働の犠牲者の遺骨発掘は、その後、野山を覆うクマザサに阻まれ中断していた。そこへ韓国人の若き文化人類学者、鄭炳浩(チョンビョンホ)さん(現漢陽大教授)が、日韓、在日の若者を集めての発掘を提案。その時から現在に続く「東アジア共同ワークショップ」の遺骨発掘計画が始まった。

 朱鞠内、北海道猿払村浅茅野(さるふつむらあさちの)での遺骨発掘で、若者の前に日本と朝鮮半島の“過去”が現実のものとして出現する。さらに、犠牲者の遺族を捜し当て訪ねると、悲嘆にくれる姿があり、遺骨が人間としてよみがえる。

 映画は、日本と朝鮮半島、在日の未来をどう描くかを遺骨発掘の参加者を超えて多くの人にインタビューし、見る者に問いかける。

 最終盤では、当初の参加者も集まった昨年夏の芦別市での遺骨発掘を紹介。和気あいあいとした雰囲気の中、現在は大阪市のコリアNGOセンター事務局長を務める在日コリアンの金光敏(キムクァンミン)さん(41)は「現在の日中韓の関係が険悪な中、ワークショップだけがユートピアになっている。それでいいのか」と問題提起。長く遺骨発掘に携わってきた同年代の韓国人、金英丸(キムヨンファン)さん(41)=現在はソウル市の平和博物館事務局長=が応じる。「歴史や領土を巡って問題が起きる度に、私たちはまた会えるのかと危機感を覚えてきた。だが、そうであればこそ私たちはまた会う必要がある。個人的には、問題が起きる度に鼻で笑ってやります。けんかをする前に大切なことがある」。15年の共同作業から導かれた言葉だった。

 監督は、影山あさ子と藤本幸久。影山監督は「映画で遺骨発掘の15年を共有できると思う。そして、東アジアの私たちは一緒に生きていくことができるという希望を確信に変えてもらえると思います」と話している。

 詳しい上映日程はシネ・ヌーヴォ(06・6582・1416、またはhttp://cinenouveau.com)で。1編(1章分)につき一般1500円、学生1200円。5編通し券は一般・学生ともに4000円で、1日1編として5日間に分けて見ることもできる。




2013年8月20日道新朝刊に、
美瑛での発掘調査が行われたという記事が掲載されていました。
(ネットにはアップされていないようです)
この日の道新は、
従軍慰安婦の説明サイトを立ち上げた団体の話や、
安重根の記事を書いたという記者のコラムなどもあり、
一体どこの国の新聞なのか分からない状態がいつにも増して酷かったです。





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by doumin | 2013-06-07 11:59 | 歴史