靖国神社焼却は犯罪行為とローマ教皇庁→GHQ焼却中止→現米政権,経緯無視→大使館FBに質問コメ→削除される

【米韓】韓米外相会談、「靖国」言及避ける米国[01/06]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1388972768/
より。
122: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2014/01/06(月) 11:20:35.91 ID:Iao9CFvD
大使館のフェイスブックに、戦後、米ミンス党が焼き討ちしようとした靖国神社を守ったのは
ローマ教皇庁で、GHQはそれを受け入れた。
しかし、それを受け入れなくなったのか忘れたのか知らないが、
あのような無神経かつ内政干渉の発言をしたのは、今の米ミンス党に共産主義者がずいぶん増えたためですか?
ってなことを書き込んだら、削除されたわ。
558 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2014/01/06(月) 13:24:05.19 ID:Iao9CFvD
靖国批判に対しては、アーリントン墓地よりバチカンが認めてることのほうが効果的なのが分かった。
特に、キリスト教国に対してはな。
アーリントン出しても、原爆投下が日本を救ったと思い込んでいるアメ人にとっちゃ
敗戦国のくせにだの戦犯ガーで反論されるが
ローマ教皇庁が靖国神社を救ったのと、昭和55年にヨハネ・パウロ二世から親書受け、
1068体の戦犯と言われた英霊がバチカンに奉納されていることを言うと黙るからな。
これに反論するアメリカ人は、共産主義者のレッテル貼っちまえばいいわ。
568: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2014/01/06(月) 13:27:52.06 ID:A9LyTjaN
>>558
キリスト教と神道の死生観は同じだからね。
一方、大中華は前政権と前文化は徹底破壊した歴史。
属国韓国も同様で、日帝の残滓として徹底破壊を目指す。
この矛盾に満ちた歴史の逆行・退化政策は世界標準にしてはないないね。
806:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん::2014/01/06(月) 14:49:57.03 ID:XdYoWL5A
>>570
割と有名な話かと思ってたけど、結構知られてないんだな・・・。
http://vaccine.sblo.jp/article/1850309.html
昭和殉難者のミサ
ヴァチカン宮に祀られた昭和の殉難者
http://vaccine.sblo.jp/article/1850309.html
「昭和の戦争記念館」第3巻 大東亜戦争の秘話という本の中に、昭和の殉難者のために荘厳なミサがヴァチカン・サンピエトロ寺院で行われたこと(1980年5月21日)が載っていますので、ご紹介します。これらと他の拡大写真はこちらでご覧下さい。
引用開始
ローマ法王庁・ヴァチカンには、昭和の殉難者1068柱の霊が祀られている。連合国の手で「戦犯」として裁かれたABC級すべての日本人「法務死」者の霊が、世界のキリスト教カトリックの総本山ヴァチカンに、他ならぬローマ法王によって祀られたのである。
その多くはキリスト教信者であった連合国側にとって、これほどの皮肉はない。皮肉というよりは、勝者の驕りに対する「神の戒め」であるとも言えよう。
時のローマ法王・パウロ六世に、日本人殉難者のためにミサを、と訴えたのは仏教徒の仲田順和師であった。
昭和五十(1975)年にヴァチカンを訪れた折に、かねてより心を痛めていた「戦犯とされた人々」の鎮魂と慰霊のために、宗教の違いを超えて願い出たのである。
順和師の父であり先代座主でもあった順海大僧正は、学徒兵や殉難者の法要を欠かさず、「七戦犯の鐘」など慰霊の鐘も護持している。
先代座主の遺志をついだ真言宗醍醐寺派別格本山品川寺(ほんせんじ)の仲田順和師の願いを、パウロ六世は快く承諾した。しかし、喜んで帰国した順和師にその後届けられたのは、法王の訃報であった。その後を襲ったパウロ一世も急逝し、異教徒の願いは空しく閉ざされたと思われた。
その順和師のもとに、ヨハネ・パウロ二世から親書が届けられたのは五年後の昭和五十五年四月、内容は「五年前の約束を果たしたい」との思いもかけぬものであった。
ローマ法王庁は、異教徒の願いを忘れてはいなかったのである。
パウロ六世の真心に応えようと、帰国直後から作製を依頼していた五重塔に殉難者千六十八柱の位牌を納め、ヴァチカンに奉納されたのは、同年五月のことである。醍醐寺五重塔を精巧に模した塔は、「戦犯」慰霊に共鳴した栃木県大田原市の木工芸家星野皓穂氏が、三年の歳月をかけ無料奉仕で完成させたもの。
五月二十一日には仲田・星野両氏も参列し、法王パウロ二世のもと昭和殉難者のための荘厳なミサがヴァチカンでとり行われた。
引用終わり
以下は現地の報道記事です。
東京の品川寺座主である仲田順和師に案内され、日本から訪れた真言宗の仏教徒たちが昨日の一般拝謁に参加していた。
先の戦争で亡くなられた戦没者のための、唱導師(使徒・伝道師)として日本で有名な仲田師は、「聖年」の間にパウロ6世に謁見している。
世界的な戦いを通じて戦死した日本の13万人の学生たちの霊のために、特別の恵み(祝福と加護)を依頼し、また法王に「まことの鐘」を差し出していた。
今年、終戦の35周年に際し、パウロ6世の継承者であるヨハネ・パウロ2世に会うため再びローマにやってくることを欲したのである。
そして戦いの責任者として宣告された10681名の霊の冥福のため、特別の「瞬間」を法王にお願いした。
尊敬と感謝の念の印として、仲田師は彫刻家である星野皓穂氏が造りあげた、日本の仏教の象徴を再生したひとつの塔を、ヨハネ・パウロ2世に贈った。日本からの訪問者たちに法王は次のように挨拶した。
「日本から来た仏教徒の訪問者たちを、特別なやり方で、あたたかく歓迎します。あなた方に平和の祝福を希望します。われわれ自身についての真実の受容と、われわれの生存の目的がその内部に存する平和を。すべての人間の威厳に対する尊重が存する他人との平和を。神がその恩恵をあなた方にお示しにならんことを、祈ります。」・・・・
芸術的に再生産されたひとつの塔を、法王に寄贈するために日本から訪れた仏教徒の集団に、ヨハネ・パウロ2世が挨拶した。
今の日本で靖国にA級がどうのこうの言ってますが、世界のヴァチカンは、国のために力を尽くして亡くなった方に対して、このように扱っているのです。特殊なのは日本だけでしょうか、いや日本に巣食う反日、左翼、媚中、媚韓の非常識人だけでしょうか。
名越二荒之助 公式ホームページ:第2章 名越語録
http://nagoshi2showa.web.fc2.com/two.html
※『昭和の戦争記念館』の著者・故名越二荒之助氏の公式サイトです。画像などは見えなくなっていますが、「ローマ法王が、昭和の殉難者に鎮魂のミサ」という一文が残っています。
展転社:世界に開かれた昭和の戦争記念館 名越二荒之助編著
http://tendensha.co.jp/kinen/senso.html
(3巻の説明を抜粋)
―恩讐の彼方―
第3巻 大東亜戦争の秘話
日本と米・英・独・伊に咲いた武士道
B5判並製/定価:本体2800円+税
ISBN978-4-88656-172-5
「この『大東亜戦争の秘話』が描いた写真構成は、一つ一つが新たな墓碑銘であり、世界の歴史遺産となろう」黄文雄(評論家)
「巻頭のグラビア『感応する日米の国体』が圧巻だ。どこの国にも『国体』があり、その共通性に目をつけたのは、炯眼だ」許国雄(東方工商専科大学学長)
※『昭和の戦争記念館(第1巻~第5巻)』の出版社です。残念ながら全巻品切れとなっていました。
靖国神社 - Wikipedia
http://p.tl/qY5e
(抜粋)
焼き払い計画とローマ教皇庁
終戦後も靖国神社が存続したことについて、以下のような逸話が語られている[41]。
戦後に日本を占領したGHQは、1945年[36]、靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設する計画を立てていたが、賛否両論が巻き起こり収拾が付かなくなっていた。そこでローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル(Bruno Bitter、英語読みでビッターとなっている場合あり)神父とメリノール宣教会のパトリック・バーン (Patrick Byrne) 神父[36]に意見を求めることになった。ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」とし、「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である」とまで言ったという[41]。そして次の言葉で締め括った。
「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」
この進言により靖国神社は焼き払いを免れたという[41]。バーン神父もビッテル神父と同趣旨の進言をした[36]。さらに1951年、ローマ教皇庁はあらためて1936年の「祖国に対する信者のつとめ」訓令を再確認している[36]。
その後、1975年には真言宗醍醐派品川寺僧侶仲田順和(のち醍醐寺第百三世座主)が教皇パウロ6世に東京裁判で戦犯となったものへのミサを行うことを依頼すると、教皇はミサを約束する[36]。パウロ6世は1978年に死亡するが、1980年5月21日、教皇ヨハネ・パウロ2世がパウロ6世の遺志を引き継ぎ、A級戦犯・BC級戦犯として処刑された人々へのミサがサン・ピエトロ大聖堂で行われ、1618柱の位牌が奉納された[42][36]。
日本会議:世界からみた靖国神社 平成14年08月11日
http://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/841
▼ 我が国の戦歿者追悼の中心施設はどこなのか
▼ 外国要人第一号はタイの外務大臣
▼ 何とリットン調査団も正式参拝
▼ 靖国神社を救ったバチカン公使代理ビッター神父
未曾有の敗戦の中で、敵・連合国のGHQは我が国を占領し、「再びアメリカを始めとする連合国の脅威とならないようにする」ため、我が国の諸制度に根本的な改変を加えてきた。特にGHQの中には、軍国主義・超国家主義を廃絶するという観点から、靖国神社と護国神社の廃絶を主張する者もいた。
しかし、ポツダム宣言で保障した「信教の自由」という建前はもちろん、それ以上に靖国神社・護国神社の存続を願う一般国民の願いを無視することはできず、神社の廃絶まではいかなかった。
特に神道に対して敵意丸だしの神道指令を起草したGHQの民間情報教育局(CIE)の幹部は、当初、神社の祭典は軍国主義的な行事や扇動的な説教があると思い込んでいたようであるが、終戦直後の昭和二十一年二月、靖国神社の祭典を視察した際、軍国調とはおよそかけ離れた静かで簡素な、しかも清浄な感じのものであったため、予想に反した強い印象を受け、これがきっかけとなって、靖国神社のみならず神社神道に対するGHQの認識が大きく変わったようである。(大原康男著『神道指令の研究』)
また、終戦当時、駐日ローマ法王代表バチカン公使代理であったブルーノ・ビッター神父の存在も忘れることはできない(以下参考、木村正義「靖国神社とブルーノ・ビッター神父」、社報『靖国』昭和五十六年七月号所収)。
GHQは日本占領直後、当然のことながら靖国神社の処置問題を取り上げ、司令部内では「焼却すべし」という意見が大勢を占めた。そして、その最終的判断は、マッカーサー総司令官に任されることになった。マッカーサーは決断を下すにあたって、キリスト教会の意見を聞くこととし、ビッター神父に対し、靖国神社処分に対する使節団の統一見解を文書をもって回答されたい旨要望した。
第一次大戦の勇士で陸軍中尉、ドイツ敗戦後聖職者の道を選び、昭和九年から日本に滞在、上智学院の院長も務めた知日派のビッター神父は次のように答申した。
《自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解出来るはずである。
もし靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。はっきりいって、靖国神社を焼却する事は、米軍の占領政策と相いれない犯罪行為である。》
マッカーサー司令官はこの答申を受けて、靖国神社の焼き払いを中止せしめたという。
かくしてGHQは、①敗戦後も、靖国神社が日本の戦歿者追悼の中心施設であることを日本の大多数の国民は認めており、②その祭典は決して軍国主義を賛美するものではなく、③バチカンの代表者も、たとえ宗教的色彩を帯びようとも靖国神社は戦歿者追悼の施設である以上、その存続を認めるべきだと考えている――ことを知り、その廃絶は断念したのである。
▼ 独立後、最初に正式参拝したのはアメリカ軍人
▼ 外国元首として初めて参拝したアルゼンチン大統領
▼ 外国の練習艦隊・士官候補生たちの正式参拝
▼ 靖国神社に寄せるビルマの熱き思い
▼ アジア独立戦争としての大東亜戦争
▼ 大東亜戦争は日本人だけの戦いではなかった
▼ 国家存立の本質に関わるテーマとして
國學院大學:Articles in Translation 双方向論文翻訳
http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/dbSearchList.do?class_name=col_jat&startNo=1&search_condition_type=1&db_search_condition_type=1&View=0&hdic_maxcls_select=1&hdic_subcls_select=12
神道・日本宗教に関する研究論文を、外国語から日本語に、また日本語から外国語に翻訳して公開するデータベースです。PDFファイルの形式で収蔵されています。研究開発推進機構日本文化研究所のプロジェクトによって、平成18(2006)年より行われているものです。毎年度、4本程度の論文が追加されていく予定です。
詳細表示 (Complete Article)
資料番号 ID:JAT01008
翻訳言語 language:English→Japanese
論文題名 title:いかにして靖国神社は占領期を生き延びたのか―通俗的主張の批判的検討―
著者 author:マーク・R・マリンズ MULLINS, Mark R
翻訳年度 year of translation:2010
翻訳者 translator:齋藤公太 SAITŌ Kōta (補訳:柴田理愛 SHIBATA Ria)
原題 original title:How Yasukuni Shrine Survived the Occupation: A Critical Examination of Popular Claims
刊行年 year of publicaton:2010
原論文掲載媒体 original media:Monumenta Nipponica 65/1:89-136
いかにして靖国神社は占領期を生き延びたのか
──通俗的主張の批判的検討──
マーク・R・マリンズ Mark R. Mullins(上智大学)
訳:齋藤公太(東京大学大学院)
補訳:柴田理愛(上智大学大学院)
※pdf
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/articlesintranslation/pdf/MULLINS.pdf
靖國神社:靖國神社の由緒
http://www.yasukuni.or.jp/history/index.html
靖国神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。
靖国神社は、明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。
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