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天皇皇后両陛下、パラオへご出発/パラオの国旗について/毎日・中日の論調と、読売・産経の論調
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慰霊団などが千人洞窟(パラオ・ペリリュー島)の中に供えた卒塔婆と旭日旗

(画像出典:読売新聞『パラオ 忘れ去られた激戦地』




両陛下、パラオにご出発 「悲しい歴史、忘れてはならない」
産経新聞 4月8日(水)12時13分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150408-00000520-san-soci
(魚拓)
 天皇、皇后両陛下は8日午前、戦後70年の節目に戦没者を慰霊するため、羽田空港発の民間チャーター機でパラオ共和国に向けて出発された。慰霊目的での海外ご訪問は、平成17年6月の米自治領サイパン島以来で10年ぶり2度目。

 天皇陛下は羽田空港で見送った安倍晋三首相らに、9日に訪問する同国ペリリュー島で日本軍約1万人、米軍約1700人が犠牲になったことに触れ、「このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」と述べられた。

 8日夕にパラオ本島の空港に到着し、空港内でパラオのレメンゲサウ大統領とご会見。その後、パラオと同じ日本の委任統治領として戦禍に遭ったミクロネシア連邦とマーシャル諸島共和国の両大統領と懇談し、晩(ばん)餐(さん)会でも同席される。

 9日には、宿泊先の海上保安庁の巡視船からヘリコプターでペリリュー島にご移動。島南端に日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」と近くにある米軍の慰霊碑に供花し、追悼の祈りをささげられる。

 両陛下ご訪問を前に訪島した生還者の元海軍上等水兵、土田喜代一さん(95)らとも面会される。


天皇皇后両陛下、太平洋戦争犠牲者慰霊のためパラオへご出発
フジテレビ系(FNN) 4月8日(水)12時11分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20150408-00000862-fnn-soci
(魚拓)


両陛下の到着待つパラオは歓迎ムード
TBS系(JNN) 4月8日(水)12時1分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20150408-00000016-jnn-soci
(魚拓)


NHK:天皇皇后両陛下 8日からパラオ訪問
4月7日 14時22分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150407/k10010040871000.html
(魚拓)
※抜粋

宮内庁は、戦後60年に当たる平成17年に、両陛下が、慰霊のためサイパンを公式訪問された際、パラオをはじめ、ミクロネシアとマーシャル諸島への訪問も検討しましたが、これら3か国については、受け入れ態勢を整えるのが困難だとして訪問は見送られました。しかし、天皇陛下はその後も、太平洋諸島で亡くなった人たちへの思いを抱き続け、パラオでの戦没者の慰霊について再び強く希望されていました。



陛下 海外戦没者への思い

天皇陛下は、海外での戦没者やその遺族にも、心を寄せ続けられています。
天皇陛下は、戦後50年を迎えた平成7年、「慰霊の旅」で国内各地を回り終えると、宮内庁の幹部に、太平洋諸島を訪れて戦没者の慰霊をしたいと話されるようになりました。
これを受けて実現したのが、戦後60年にあたる平成17年の天皇皇后両陛下のサイパン訪問でした。
天皇陛下は、出発前のおことばの中で、「海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います」と述べられました。
皇后さまも、この年、海外で亡くなった戦没者に寄せる天皇陛下の思いについて、「南太平洋の島々で戦時下に亡くなられた人々のことを、深くお心になさっていらっしゃいました。外地のことであり、なかなか実現に至りませんでしたが、戦後60年の今年、サイパン訪問への道が開かれ、年来の希望をお果たしになりました」と文書で述べられました。
宮内庁は当時、パラオをはじめ、ミクロネシアとマーシャル諸島への両陛下の訪問も検討しましたが、これらの国については、相手国が受け入れ態勢を整えるのが困難だとして訪問は見送られました。
しかし、天皇陛下はその後も、太平洋諸島で亡くなった人たちへの思いを抱き続け、パラオでの戦没者の慰霊について再び強く希望されていました。


前侍従長「強いお気持ち」

天皇皇后両陛下に10年余りにわたって仕え、サイパンへの慰霊の旅にも同行した前侍従長の渡辺允さんは、NHKのインタビューに応じ、「天皇陛下の強いお気持ちが、今回のパラオ訪問につながってきたのだろう」と語りました。
この中で渡辺さんは、天皇陛下が、戦後50年の平成7年、「慰霊の旅」で国内各地を回り終えると、パラオなど南太平洋の島々での慰霊を口にされ始めたと話し、「外国訪問の話になるたびに南太平洋に行けないかとおっしゃっていたが、当時はまだ行って頂かなければならない国がいくつもあり、島国で遠いこともあって、なかなか難しかった。それでも、やっぱりだめか、やっぱりだめかと何年にもわたって同じ事をずっと繰り返しおっしゃっていた。そのことに、南太平洋の島々への非常に強い思いを感じた」と述べました。
そして、天皇陛下が、南太平洋での慰霊を望まれた理由について、「310万人を超えると言われる日本人の戦没者うち相当数の人が海外で亡くなっており、やはり海外で慰霊をしたいと考えられたのだと思う。南太平洋の島々は、それぞれが激戦地で、日本政府も慰霊碑を建てている。そういうところで慰霊をしたいというのがいちばんのお気持ちだったと思う」と話しました。
渡辺さんは、また、平成17年のサイパン訪問の前にパラオやミクロネシア、マーシャル諸島への訪問を検討したものの、交通の事情などから断念したと振り返ったうえで、「天皇陛下が『ああそうか、だめか』とおっしゃったので、この話は無くなったと思いましたが、その後またおっしゃったということで、やはり強いお気持ちがおありで、今回の訪問につながってきたのだろうと思う」と語りました。
さらに、今回、両陛下が、激戦地のペリリュー島を訪ねられることについて、「結果として、今までペリリュー島を聞いたこともなかった人が、そこで起きたことを知ることになる。それが非常に大きな意味のあることだと思う」と述べました。
そして、両陛下の平和に対する思いや戦争への向き合い方について、「究極的には、世界の平和を祈られている。戦争の犠牲者の慰霊も日本人だけではなくて、あらゆる国のすべての人ということだろう。両陛下の戦没者の追悼は、終わりがない、本当にご生涯を通じてのことなんだろうと思う」と語りました。






■パラオの国旗について


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日の丸によく似たデザインのパラオ国旗



作者は日章旗を意識したわけではないそうですが、

吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)の新・徒然草:パラオ国旗の作者との対話
[2010年10月26日(Tue)]
http://blog.canpan.info/fukiura/archive/7313



旗・幕類の製造販売の老舗である株式会社更五さんのサイトでは、
次のように説明されています。

株式会社さらご
パラオ共和国
Republic of Palau
http://www.sarago.co.jp/nfhtm/pw.html
【 国旗の意味や由来など 】 1979年に、一般公募で国旗を決めるコンテストで優勝した John Blau Skebong氏のデザイン。青は広大な南太平洋、黄色の丸はパラオの人々にとって重要な役割をもつ満月を表わしている。 パラオは戦前は日本の委任統治領下にあって対日感情が良好であったため、日章旗の太陽と対になって友好を示す満月がデザインされている。
パラオ国旗の満月が中心ではないのは、旗がなびいた時にバランス良く見えるようにと旗竿側に寄せてあるのだが、一説には日本に失礼だからわざと中心をはずしたとの考え方もあり、パラオの人々の慎み深い心を表している。


また、
「日本とパラオは太陽と月。太陽があれば月も光る」
という言葉がパラオではよく使われていることから考えると、 ※4/8放送・TBSひるおび!より
作者の意図を離れ、パラオ国民はそう解釈し大切にしていると言えるかもしれませんね。





■関連記事

ペリリュー島守傭隊長 中川州男大佐
http://heiho-ken.sakura.ne.jp/20130206.htm


親日国パラオの感動の歴史 ―天皇皇后両陛下ご訪問の地
2015年04月07日 公開
井上和彦(ジャーナリスト)
『パラオはなぜ「世界一の親日国」なのか』 より
http://shuchi.php.co.jp/article/2245


天皇皇后両陛下とパラオ―慰霊のため御ご訪問される意味とは?
2015年04月08日 公開
井上和彦(ジャーナリスト)
http://shuchi.php.co.jp/article/2247





■新聞各社の論調

毎日・中日あたりの論調と、読売・産経は真逆です。
特に、元駐日パラオ大使のミノル・ウエキ氏の言葉を比較すると分かりやすいです。

中日:<パラオ 忘れられた戦場>(下) 遠ざかる記憶
2015年4月7日 朝刊
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015040702000072.html
(魚拓)
※抜粋
 焼き尽くされたジャングルに、ばらばらになった日本軍の戦闘機や戦車。太平洋戦争終結後、ペリリュー島に戻った島民は変わり果てた風景を目にした。「家や森がなくなり、母親は泣いていた」。レイコ・グバリ(79)は振り返る。親から授かった日本風の名前に、複雑な思いを抱く。

 コロール島で育ったケイティ・ジラケ(87)は学校で日本語教育を受けた。毎朝、三千キロも離れた皇居に向かって敬礼した。日本がパラオを統治して三十年。美しかった故郷は戦場にされた。「なぜ、この島で戦争をしたの。私たちには関係ないことなのに」

 戦争に巻き込まれたパラオは一九八一年、非核憲法を公布。核兵器の持ち込みは国民投票が必要と定めた。ただ、当時は米国の信託統治領。九四年、米国の軍事力の傘の下で独立を果たし、憲法は「米国との盟約に矛盾する条項は適用されない」と修正された。

 「本当は非核憲法を変えたくなかった」。パラオの前駐日大使ミノル・ウエキ(84)は残念がる。日本人の父を持ち、中学二年の時は飛行場建設に加わり、米軍機の銃撃で学友二人を亡くした。戦後は医師となり、新政府では厚生・教育担当大臣も務めた。

 あの戦争が遠ざかる中、平和の礎にと願った非核憲法の理念が揺らぐ。「戦争を見てきた私たち世代は、その苦しさが体に染み付いている。でも、今の子どもたちは戦争を知らない」。パラオと日本、米国の国旗を掲げた事務所で、表情を曇らせた。


パラオ:大国に翻弄されて 各地に残る統治の歴史
毎日新聞 2015年04月07日 15時00分
http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20150407k0000e040196000c.html
(魚拓)
※抜粋
 共同通信によると、当時の日本語教育などは「未開な現地住民を文明化し、支配を受け入れるようにすること」が目的。「国民」にも日本人を「一等」とし、沖縄と朝鮮半島出身者を「二等」、現地住民を「三等」とする暗黙の了解があったという。

 前駐日パラオ大使のミノル・ウエキさん(84)は「一生懸命日本語を勉強し、日本人になろうと努力した。親日的な人は大勢いるが、この島が太平洋戦争に巻き込まれたのも事実」と話した。

 長年にわたりパラオの高齢者から日本統治時代の聞き取りを続けている神戸学院大の三田牧准教授(文化人類学)の話 パラオの高齢者から日本統治時代の話を聞くと、「親日」と単純にくくれない複雑な思いが見えてくる。近代的な町ができて繁栄した一方で、差別を受けたり、空襲や飢えに苦しみ、家族を失ったりした人も多いためだ。日本がパラオを含むミクロネシアの島々を植民地支配したことはあまり知られていない。パラオの人の経験に真摯(しんし)に耳を傾ける姿勢が必要ではないか。


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産経:時を超え眠り続ける「誇り」 集団疎開させ、島民を守った日本兵
2015.1.2 15:00更新
http://www.sankei.com/premium/news/150102/prm1501020029-n1.html
(魚拓)
※抜粋
 平成21年から25年まで駐日パラオ大使だったミノル・ウエキさん(83)は言う。
 「日本軍は、ペリリューの島民を全員、疎開させることで保護してくれた。だから島民に死傷者は出なかった。日本軍への感謝は何年たっても忘れない」


残留要望を認めず

 昭和18年6月現在でペリリューには899人の島民が住んでいた。島民によると、日本軍と一緒に戦う決意をしていた島民もいたという。だが、守備部隊はそれを認めず、非戦闘員の島民を戦闘に巻き込まないため、19年3月から8月にかけて、全員をパラオ本島などに疎開させた。

 当時9歳だったアマレイ・ニルゲサンさん(79)は、夜間を利用して両親らとバベルダオブ島に疎開したといい、こう記憶をたどった。

 「日本の兵隊がダイハツ(上陸艇)で連れて行ってくれた。バベルダオブに着いた後も、憲兵が2日かけてジャングルの中をエスコートしてくれた。なぜ自分たちの島から避難しないといけないのか分からなかった。2年半ほどして島に戻り、草木がなく石だけの島を見て、もし、残っていたら死んでいたと思った。家族で日本軍に感謝した」


読売プレミアム:[戦後70年 パラオ慰霊]<下>統治の歴史「忘れないで」 日系人 新たな友好に期待
2015年4月2日3時0分
※会員のみ。
※ウエキ氏は日系であることに誇りを持っている、と言う内容です。
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20150402-118-OYTPT50067/list_SOCIETY2
 「パラオは、日本から忘れられていた」。元駐日パラオ大使のミノル・ウエキさん(84)は語る。 日本人の父、パラオ人の母を持ち、1931年、日本の委任統治領時代のパラオ・コロール島で生まれた。日本人と同じ国民学校に通い、海に突き出た波止場の…


(追記)両陛下のパラオご訪問を心待ちにしている日系人を取材しました。
フジテレビ系(FNN) 4月8日(水)13時17分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20150408-00000872-fnn-soci
(魚拓)
※抜粋
実は戦前、日本は、委任統治していたこの国のインフラ整備を進めていたために、親日的だった。
パラオに住む日系人で、民宿を経営する金城文子さんは、当時の日本との交流を懐かしむ。
金城さんは「年配のおばちゃんとか、おじちゃんは、日本の方と交流したい気持ちですね。最初から素晴らしい交流があったもので」と話した。
また日系人で、元駐日パラオ大使のウエキ・ミノルさんは、戦後、パラオ全体で亡くなった日本人およそ1万6,000人を悼み、つくられた「サクラ会」という日系人会で活動していた。
ウエキさんは「日本の血であるということを誇りに思って、メンバーが困っていたら、一緒にやってやろうっていうのが一番の(目的)」と話した。
「サクラ会」として、慰霊碑の清掃活動を行っていたウエキさんは、両陛下のご訪問を心待ちにしているという。
ウエキさんは「うれしいです。パラオ人も。しかし、本当に喜んでくれるのは、亡くなった、犠牲になった兵隊たち。特に喜んでいるんじゃないかという気がします」と話した。

パラオ政府関係者によると、ペリリュー島は9日、学校や職場が休日となり、およそ600人の島民全員で、両陛下を出迎えるという。


(追記)天皇皇后両陛下、パラオにご到着 笑顔で国際空港をあとに
フジテレビ系(FNN) 4月8日(水)18時30分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20150408-00000879-fnn-soci
(魚拓)
※抜粋
街の人々に、日本の印象を聞いてみると、「日本が好きです。日本人も大好きです。(なぜ日本が好きですか?)日本人は、とても正直な国民だからです」、「みんな日本が大好きです。だから、(陛下に)こうやってチュッと、ハグしたいの」との声が聞かれた。
パラオには、日本に好意的な人が多く、親日的な国の1つといわれている。
それは、人々が使っている言葉にも現れている。
弁当は、「ベントウ」、電話は、「デンワ」、さらには、扇風機も「センプウキ」という言葉が使われている。
さらに、ブラジャーは、「チチバンド」という。
また、街の集会所で人々が楽しんでいるのは、日本の伝統的なカードゲーム「花札」。
点数も、日本語で数えていた。
太平洋戦争以前、日本はパラオを統治していて、そのころ持ち込まれた日本語が、ほぼそのまま、パラオの言葉として定着した。
そして、パラオの国旗は、青地に黄色い丸が描かれていて、色は違うものの、デザインは日の丸そっくり。
元駐日パラオ大使のウエキ・ミノルさんは「日本の国旗(白地に赤色)から取って、青地に黄色にした。青が海で、真ん中の丸は月」と話した。
日本の統治時代を知る、85歳のニナ・アントニオさんは「日本時代はよかった。建物もよかったし、新聞社や放送局、郵便局、何でもありました。建物は丈夫で、とても立派です」と話した。
統治時代に日本が作った建物は、戦後70年が過ぎた今も使われていた。
日本の統治時代に、役所として建てられた建物は、現在はパラオの最高裁判所として使われている。
戦後、パラオは、アメリカの統治下に置かれたが、その後も日本は、インフラの整備に、さまざまな協力を行ってきた。
2002年、日本政府の支援で造られた全長400メートルを超える橋。
もともと、この場所には、韓国企業が造った橋が架かっていたが、完成19年後の1996年、突然、崩落したという。
元駐日パラオ大使のウエキ・ミノルさんは「もう、びっくりしましたよ。交通がストップして、みんな動かなくなってしまった。壊れて一番最初に、日本にアピールしたら、日本の政府が建て直して」と話した。
ほかにも、空港の新ターミナルやリサイクルセンターなども、日本が建設を支援した。
そうした中で実現した、両陛下のご訪問。
日本とパラオの絆が、いっそう強くなることが期待されている。
パラオには、野球場や橋など、日本が建てたものが非常に多く残っていて、戦前に建てられたものでも、今も大切に大切に使われている。
地元の人々は、親から子に、「これは日本が建ててくれたものなんだよ」と、語り継いでいるということで、地元の人に話を聞いても、「日本には本当に感謝している」という声が、非常に多く聞かれた。





■追記

宮内庁:パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)
平成27年4月8日(水)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h27e-palau.html#AIRPORT




到着されました。
両陛下はお風邪を召し、治りきらないままのご出発、
また、1泊2日の強行スケジュールということで非常に心配ですが、
両陛下の20年に渡る強いご希望がついに実現し、嬉しい気持ちでいっぱいです。

両陛下、パラオに到着=大統領と会見、晩さん会出席―初めて巡視船に宿泊
時事通信 4月8日(水)15時59分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150408-00000077-jij-soci
(魚拓)


テレ東:天皇・皇后両陛下 パラオご到着 中継
4月8日
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/newsanswer/newsl/post_87812/
天皇皇后両陛下、パラオへご出発/パラオの国旗について/毎日・中日の論調と、読売・産経の論調_d0164331_1349364.jpg


NHK:パラオ訪問の両陛下 8日の日程終えられる
4月8日 23時28分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150408/k10010042321000.html
(魚拓)



日本のご英霊、そして米国戦没者も、喜んでいることでしょう。

日経:両陛下、パラオの日米慰霊碑に供花 激戦地ペリリュー島
2015/4/9 10:52
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG06HG2_Z00C15A4MM0000/
(魚拓)
天皇皇后両陛下、パラオへご出発/パラオの国旗について/毎日・中日の論調と、読売・産経の論調_d0164331_13353136.jpg
「西太平洋戦没者の碑」に供花される天皇、皇后両陛下(9日午前、パラオ・ペリリュー島)=写真 寺沢将幸



ご帰国になりました。
本当に、お疲れ様でございました。

NHK:天皇皇后両陛下 パラオから帰国
4月9日 21時30分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150409/k10010043311000.html
(魚拓)



10日は56回目のご結婚記念日です。
素敵なご夫婦・日本人のお手本として、
いつまでもお元気でいて頂きたいと思っております。





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by doumin | 2015-04-08 13:03 | 歴史