ソ連軍侵攻中の樺太で、最後まで職務を遂行した真岡郵便局「九人の乙女」集団自決から70年 稚内で追悼式典

稚内プレス:故人と縁の4人参列 九人の乙女の碑平和祈念祭
投稿日:2015 年 8 月 20 日
http://wakkanaipress.com/2015/08/20/11057
HBC今日ドキッ:「九人の乙女」追悼式典
2015年8月20日(木)16時00分
http://news.hbc.co.jp/08211207.html
※抜粋
70年前の8月20日、樺太、今のサハリンで集団自決した9人の女性電話交換手を追悼する式典が稚内で開かれました。
70年前、当時のソビエトは日本の敗戦直前に参戦し、敗戦後の8月20日に樺太の真岡に上陸しました。
この時、真岡郵便局では女性電話交換手9人が自決しました。
稚内では、この9人のほか樺太で亡くなった人たちを毎年8月20日に追悼しています。

ソビエト軍は、各地であらゆる蛮行を繰り返した
共同:女性電話交換手9人を追悼、稚内 終戦後の樺太集団自決70年
2015/08/20 19:20
http://www.47news.jp/CN/201508/CN2015082001001523.html
※抜粋
太平洋戦争終戦時の1945年8月20日、日本統治下にあった旧樺太・真岡(現ロシア極東サハリン州ホルムスク)に侵攻してきたソ連軍を前に集団自決した真岡郵便局の日本人女性電話交換手9人を追悼する慰霊祭が命日の20日、北海道稚内市で開かれた。
遺族や元同僚に加え、後輩に当たる日本郵便やNTT東日本の関係者ら約330人が参列。
稚内プレス:悲劇繰り返さず 氷雪の門・乙女の碑平和祈念祭
投稿日:2015 年 8 月 21 日
http://wakkanaipress.com/2015/08/21/11083
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■九人の乙女について
稚内観光協会:九人の乙女の碑「皆さん、これが最後です。さよなら、さよなら・・・」
http://www.welcome.wakkanai.hokkaido.jp/topics/2009/04/12-01.html
稚内市:昭和天皇行幸啓記念碑
https://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kanko/midokoro/spot/syowa.html
昭和43年9月、開道百年記念式典のご臨席のおりに、ご来市になられた天皇・皇后両陛下は、稚内公園の『九人の乙女の碑』の前で、当時の浜森市長より九人の乙女の悲話をお聞きになりました。
両陛下は、目頭に涙を浮かべられ、深く頭をお下げになり、九人の乙女の冥福をお祈りされました。
後日、この時のご感銘を次ぎの様に詠まれました。
■碑文
御製(天皇)
樺太に命を捨てし たおやめの 心思えば胸 せまりくる
御歌(皇后)
樺太につゆと消えたる 乙女らの みたまやすかれと ただいのりぬる
両陛下の御製・御歌は、行幸啓記念碑に刻まれ、昭和44年8月に除幕されました。
宮内庁:天皇皇后両陛下のご日程
平成元年9月15日(金)~平成元年9月18日(月)
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/h01/gonitei-h01-03.html
天皇皇后両陛下 ご視察(御製・御歌碑,氷雪の門,九人の乙女の碑)(稚内市)
西野神社 社務日誌 さんより:9人の乙女
2006-08-20
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20060820
ある通信兵のおはなし さんより:氷雪の門
平成17年3月4日配信
http://okigunnji.com/ohanashi/backnumber/te117.htm
一般社団法人 全国樺太連盟
http://kabaren.org/
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■ソ連軍の蛮行
ソ連軍兵士の強姦、殺戮、暴行、強奪
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/Stalin.html
終戦~日本人 引き揚げの悲劇
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-154.html
※抜粋
1945年8月9日、ソ連は日ソ中立不可侵条約に違反し、
満州や北方領土などに攻め込み、日本侵略を開始した。
ソ連は日本から日米の終戦交渉を依頼されていたにもかかわらず、
日ソ中立不可侵条約を一方的に破棄し、
原爆によって虫の息ほどになった日本に対し、宣戦を布告したのだ。
そして、ソ連軍は、その頃手薄になっていた満州や樺太に上陸し、
略奪・強姦・殺戮など悪逆・暴虐の限りを尽くした。
さらに、ソ連は、100万人以上の日本人を拉致し、シベリアに強制連行し、
強制労働をさせた所謂『シベリア抑留』で50万人以上を大虐殺した。
満州での被害/ソ連兵の残虐さ
http://kenjya.org/higai1.html
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■当ブログ内関連記事
映画 氷雪の門 封印されていた樺太の悲劇、36年経て公開
2010-08-11
http://doumin.exblog.jp/11763873/

映画「樺太 1945年夏 氷雪の門」
現在ロシア領サハリンと呼ばれるかつての樺太。
1945年、終戦の混乱の中、この地で多くの日本人が死んでいった。
8月9日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を破り、満州、樺太に侵攻。
終戦の報がもたらされた5日後の8月20日、突如、真岡の町の沿岸にソ連艦隊は現れ、艦砲射撃を開始。
本作は、ソ連の侵攻作戦のただなかで、最後まで通信連絡をとり、若い生命をなげうった真岡郵便局電話交換手9人の乙女の悲劇を描いた真実の物語。
映画監督 新城卓氏 講演記録 『映画「氷雪の門」にかかわって』
平成十五年八月十四日 和歌山県民文化会館
http://sakurakaido.kt.fc2.com/shinjo.htm
※抜粋
凄まじい虐殺とか、レイプ、殺人が始まって非常に混乱を呈したんです。
なおかつ、映画ですから、そこまで撮りますと、観る人に不快感を与えてはマズイと思いまして、いろんな意味で手加減した思いがあるんですけれども、この映画の訴えているもの以上に、もっと残酷なんですね、実は。
産経:南樺太の悲劇「氷雪の門」36年ぶりの劇場公開
2010年6月15日
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100615/tnr1006150807001-n1.htm(リンク切れ)
■「この映画は歴史の証人」
“幻の映画”と呼ばれる「樺太1945年夏 氷雪の門」(脚本・国弘威雄(たけお)、監督・村山三男)が、36年の年月を経て、全国で順次公開される。太平洋戦争末期に、ソ連が日本領だった南樺太(サハリン)に侵攻し、自決を強いられた真岡郵便局の女性電話交換手9人の悲劇を描いた物語。昭和49年の公開直前、ソ連側の抗議によって公開中止になった。助監督を務めた映画監督の新城卓さんは「この映画は歴史の証人」と訴える。
同作は、北海道で新聞記者をしていた金子俊男さんの『樺太一九四五年夏・樺太終戦記録』(講談社)が原作。南田洋子さんや丹波哲郎さんらが出演し、戦闘場面の撮影では陸上自衛隊が協力した。製作実行予算が5億円を超えた超大作映画として話題を呼んだ。
だが、公開直前に配給元の東宝が上映中止を決定。「反ソ映画は困る」という駐日ソ連大使館の抗議や、東宝が進めていたソ連との合作映画「モスクワわが愛」への配慮があったとされる。結局、北海道と九州で2週間だけ上映された。
1945年夏、太平洋戦争は終末を迎えようとしていた。樺太には緊張の中にも平和な時間が流れていた。ところが8月9日、ソ連軍は日ソ中立条約を一方的に破棄し、南樺太に侵攻。終戦後も戦闘は拡大していった。
そして8月20日、真岡の沿岸にソ連艦隊が現れ、艦砲射撃を開始。電話交換手の女性たちは職務への使命感や故郷への思いから、職場を離れることはなかった。ソ連兵がいよいよ郵便局に近づいた。路上の親子が銃火を浴びた。「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」。この通信を最後に、9人は服毒死を選ぶ。
配給会社「太秦(うずまさ)」の小林三四郎社長は「同作は日の目をみないまま月日が流れ、多くの関係者が亡くなった。樺太の街のセットを作り上げた美術監督の木村威夫さんと上映を目指したが、木村さんも3月に亡くなった。さまざまな思いが詰まった作品」と話す。
新城さんも「表現の自由が約束された社会であるはずなのに、この映画には自由がなかった。日本というのはどういう国なんだろう、と悔しかった。政治的意図はなく、史実を伝えたいだけ。ザ・コーヴの上映中止や普天間問題などを考えるきっかけにもなるのでは」と話している。
7月17日からシアターN渋谷で。全国各地の劇場でも順次公開する。
産経:樺太の悲劇封印解く 映画「氷雪の門」36年経て公開
2010.8.28 14:19
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100828/tnr1008281420009-n1.htm(リンク切れ)
終戦時のソ連軍侵攻による樺太(現サハリン)の悲劇を描いた映画「樺太 1945年夏 氷雪の門」(村山三男監督)が36年の時を経て日の目を見る。今年は戦後65年の節目。この作品は昭和49年の全国公開目前に上映が急遽(きゅうきょ)、中止された幻の作品で、「戦争自体への記憶が薄れゆく中、ほとんど知られていないこの惨劇を広く知ってほしい」と関係者はこの時期に公開する意義を語る。関西では9月から順次公開される。(橋本奈実)
原作は、金子俊男さんの「樺太一九四五年夏・樺太終戦記録」。終戦直前、日ソ中立条約を破棄して南下してきたソ連軍(当時)は8月15日の玉音放送後も侵攻を続行。ソ連軍の砲弾が飛び交う中、業務を遂行していた真岡郵便電信局の女性電話交換手9人が青酸カリを服毒して自決した惨劇を描いている。
映画は、当時では破格の5億円超の製作費を投じて完成。ところが昭和49年、全国公開目前になって急遽、上映中止に。関係者によると、ソ連側の反発を受け、劇場側が上映を自粛したとされる。その後、配給が代わり、規模を縮小して北海道と九州だけで上映されたが、全国的には日の目を見なかった。
同作を配給する太秦の小林三四郎代表取締役社長は「これだけの悲劇があまり知られていないのは異常なこと。樺太で何が起こったか、伝えなくてはならないと思った」と話す。小林さんは、多くの日本映画美術を製作した美術監督で「氷雪の門」の美術も手掛けた木村威夫さんと交流があり、作品の存在を知った昨年、世に出したいと動き始めたという。
上映権の持ち主を探すうち、助監督をしていた新城卓監督にたどり着き、同監督が立ち上げた「映画『氷雪の門』上映委員会」の存在を知る。6年前にフィルムを見つけた新城監督は、153分の作品を119分に編集し、デジタル化していた。
上映を待たずに木村さんは今年3月に他界。「(今回の上映は)木村先生の置きみやげだと思っています。あと10年たてば、戦争体験者はいなくなってしまう。65年という歳月はもう2世代。ぎりぎりのタイミングだった」と小林さん。
映画は9月18日から大阪・十三の第七藝術劇場で、10月9日からは神戸・元町の元町映画館で公開。第七藝術劇場の松村厚支配人は「作品を見る前から即やる、とお返事しました」といい、上映を応援する声も多いという。
映画「氷雪の門」の主演女優、二木てるみさんの話「偶然、終戦65年という節目の年の上映となったのは運命。凌辱(りょうじょく)を恐れ貞節を守るために命を絶った女性…。このような事実があったことを、まず知ってほしい。知ろうとしないことは、厳しい言い方をすれば、罪だと思う」
【真岡郵便局事件】
昭和20年8月15日の玉音放送後もソ連軍が侵攻を続ける中、樺太西海岸の真岡町にある真岡郵便局で働く女性交換手たちは、避難せずに最後まで職務を遂行していた。ソ連兵が間近に迫ったある日、彼女たちは青酸カリを飲み自決。殉職した9人の慰霊碑が北海道稚内市の稚内公園内に残っている。
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